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時代に逆らうダイエット


子供が保健室にお世話になったとき、
朝食は摂ったのか何を食べてきたのか尋ねられて答えたところ
先生から「ちゃんとしてるね」と褒められたという。

🍚我が家はずっと和食で、日本以外に住んでる時もそれは同じだった。
ご飯・お味噌汁(豆腐 小松菜 椎茸 ねぎ)
ブロッコリーとトマト中心のサラダ・リンゴとバナナ
ヨーグルト・時々納豆、毎朝こういう感じ。

家族はみんな特に太くも細くもないMサイズ族だし
特に疑問を感じたこともなかった。

だけど最近、糖質カットとか炭水化物抜きとか 米飯がずいぶんと悪者扱いされている。

持病のある父が食事をする時 母はいつもご飯をよそうたび秤で確かめてから出していたし
気をつけたほうがいい人がいるのも確かだろう。

だけど、普通に健康な人や若い人が
「ゴハン(お米)あんまり食べないようにしてる」と言うのを聞くと
それ本当に体にいいことなのかな❓と思ってしまう。

専門家の助言でそうしてるなら分かるけど、大抵の人はネットや雑誌のダイエット記事の影響だし。

実家の母が三食摂っているのに あられやクッキーなどを頻繁に食べてる時があった。
こちらにも勧めてくるが おやつの時間でもないんだし私は全く食べる気にならない。

食事について聞いてみたら、父が亡くなってから朝食はパンにしているという。🍞
自分しかいないのに わざわざ毎朝炊くのも億劫に感じるらしい。
「それにテレビで高齢者はあんまりゴハン食べなくていいって言ってた」

ちょっとちょっと、
朝バナナで痩せるとか納豆ダイエットとか今までテレビがどんだけインチキ健康法やってきたか思い出してよ~
ゴハン減らしてクッキー食べてたら かえって不健康だよー😢💦

とりあえず、お米を多めに炊いて一食分ずつラップに包んで冷凍しておくことを勧めた。
解凍する時間なんてすぐだよ2分くらいと。
それ以来 母の間食が気になることもなくなった。

私自身 お米を食べないとそれ以外のものを食べ過ぎていることに気がついて、
適正体重を維持するためにもお米は必要だなと感じている。
(さすがに夕食は主食も副食も少なめだけど)

というわけで、メディアの米飯冷遇にも流されず、
今日も私は感謝しながら美味しくご飯を食べている。☺️🍚

栄養とかカロリーとか抜きで考えてもお米がないと生きていけない。
和洋中どれにでも合うのもいいし、炊きたてごはんが湯気を立てている様子は幸せな気分になる。

同世代のほっそりしているママさんも「ご飯食べないと満腹感がないよね」と言ってたので
やっばりそうだよねと思った。

アメリカから日本に向けて積み込まれる農産物に
夥しい量の防腐剤が噴霧されているのを見て衝撃を受けたことかあるけど
近くで作られているものは そういう怖さもない。


日本人は弥生時代から千年以上お米を食べてきて国を発展させてきたのだし、
敗戦の焼け野原から経済大国になり、長寿国とも呼ばれるようになった。
この国で頑張る人のエネルギーになってきたのが、米だと思っている。

だからお米を必要ないもののように言う人にとても違和感がある。

実家の窓を開けると水田の広がる景色が見える。
通学をしながら遊びながら、兼業農家の同級生のお父さんたちが田んぼで働くのを見てきた。

田植えをして、育ってきたら虫や雑草を除き、実ったら稲刈りをして脱穀する。
手間をかけ育て収穫する、毎年欠かすことなく繰り返される作業。

台風で家の雨戸を閉めるとき、強い雨に打たれながら稲の様子を見に来ている合羽姿があったのも覚えている。
 
そんなふうにして大きくなってきたから、
時代が変わっても 日本人の生活も体質も昔とは違うと言う人がいても
お米を軽んじる声に同意することがどうしてもできない。

心を込めて作られた美味しいものを尊いと思う気持ちを忘れたくない、
私は瑞穂の国に生まれ育ったことを幸せに思っているから。
✨🌾




























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『アルキメデスの大戦』と菅田将暉さん


映画『アルキメデスの大戦』を見に行く。
10歳以下の子供には難しそうだけど どの年齢層でも楽しめるし考えさせられる作品。

戦艦大和や山本五十六が登場するけど、フィクションでエンターテイメント ⛴️

冒頭五分 いきなり大和の沈没シーンで迫力に圧倒されるけど
以降は戦場が全く出てこなくて 新しい切り口で戦争を描いている。

大日本帝国が強くあるためには巨大戦艦が必要と説く人、
大きいだけで機動力のない戦艦なんて壮大な無駄遣いでしかないと説く人、
戦争になったら日本は負けるけどそれでも戦艦は要る 負けるからこそ要ると思う人、
日本を愛する気持ちは同じでも考え方は全く異なる。

(家にあった第二次世界大戦の本を見ると
アメリカの戦艦サウスダコタ全長207mに対し大和は全長263mで、資源のない国が無理をして造ったんだなというのが率直な感想)

菅田将暉が演じる櫂は戦艦建造を阻止するため、戦艦建造費の嘘を暴く天才数学者。👨‍🎓

と書くと地味に聞こえるけど全然そうではなくて、
黒板に数式を書いていくだけのシーンであんなにハラハラドキドキしたのは初めて。
映画を見てる人みんなが固唾を飲んで注視しているのが分かる静けさで、
菅田さんの役者としての力量がフルに発揮されていた。

櫂があちこち駆け回って計算して がっかりしてはまた立ち上がって…と奮闘するパワフルな学者ぶりも魅力だけど、物言わぬシーンも印象的だった。


⚠️以降ネタバレになりそうなので、終わりの方を知りたくない方はここで止めてくださいね。


晴れやかな門出で船の甲板を歩く山本五十六に敬礼をする櫂。
軍人らしく一分の隙もない立ち姿で引き締まった表情、なのにどこか空虚な瞳。

国力の違いを数字でハッキリと把握していて、
海軍に来る前から「アメリカに勝てるはずがない」と断言していた櫂には、この後に船を取り巻く景色が見えていたんだろうなと思った。

あの戦争について読んでいると、
壁を越えるのは無理だというのが見えていながら
突き進んでいったような部分が多々あるので
やはりこうなってしまうのか…という気持ちになった。

信念を持ちつつ大人の余裕も感じさせるダンディーな山本五十六を演じた舘ひろしさん、
普通のやり取りをやたらと面白くする間の取り方の天才みたいな柄本佑さんと
達者揃いなので 雑談するシーンまで見逃せない映画だった。


📺 菅田将暉さんが気になる存在になったのは2017年のNHK「鶴瓶の家族に乾杯」から。
滋賀の町を歩いて出逢った人と話してるだけなのに、なぜか跳んだり走ったりしてた仮面ライダーWの時よりエネルギッシュに見えて
躍動感という言葉がぴったりだった。

もうひとつ思ったのが「この人は心のドアが全開なんだな」ということ。

誰でも よく知らない人に対する警戒心とか自分を出しすぎてカッコ悪いとこまでバレるのはやだとかあるはずだけど、
菅田さんは構えたり飾ったりせず 真っ直ぐに目の前のことに向き合う人に見えた。

そういう生き方って傷つくこともあるけど、開いてる分 吸収することもたくさんあるんだろうなと思った。


帰宅して映画のパンフレットを開くと、
菅田さんと共演した40歳以上年上のベテラン俳優たちが口を揃えて「彼は凄いね」と語っていた。

映画館全体が緊張感に包まれていた あの数式を書いていくシーンは、共演者やスタッフまで感動させたらしい。









追記
5月にスタートした拙いブログですが、
今日 総拍手数が100を超えているのに気がつきました。
お読みいただき ありがとうございます。


















見てきたものが導く場所


実家で何となく市民だよりを見ていたら、高校時代のクラスメイトが市会議員になっていた。

最初は驚いたけどやっぱり…とも思った。
彼女は生徒会長に立候補するタイプではなかったけど、自分を高めたいという意識をハッキリ持っていて 世界に出て活躍する日本女性について書かれた本などをよく読んでいた。

ボランティアやPTA活動で色んな場所に行くにつれ もっと地域の力になりたいと思うようになりました、と議員を目指したきっかけを語っていた。


帰り道に一緒にアイスクリームを食べた子がもうひとりいる。
学力もビジュアル偏差値も議員の彼女と似たような感じで信頼される人柄なのも同じ。

違うのは 彼女の愛読書は貧乏やモテない話を笑いにした自虐系のコミックエッセイだったこと。

卒業後、短大・会社勤め・結婚離婚を経て今はシングルマザー。
二年ほど前、彼女の家を訪ねると子供は親思いのしっかりした子に育っていた。

便利さを考えて選んだという住まいがアパートとマンションの中間のような四階建てなのだが、
階段の手すりやドアの枠が錆びつき壁も古びて黒っぽくなっていて ちょっと侘しくなる建物だった。

彼女が読んでたマンガにこんなの描かれていたなぁと思った。

流行の歌でも 最近のものより十代に聞いたものが一番ハッキリと覚えていて色んなものを呼び覚ます。
多感な時期に毎日のように見ていたものは人生に与える影響が大きいのかも知れない。

その頃、私は普通のティーン誌の他に海外のファッション雑誌が好きだった。
クールな金髪のモデルをよく眺めていたが、残念ながら現在の自分は脚が長いわけでもなくゴージャスでもない。

心に刻まれるほど見ていたものが人生を変える力より 昔ながらの日本人のDNAが強かったらしい。









なくてもいいね


インスタグラムが一部の国で「いいね!👍」を非表示にする試みをしている。
日本も含まれていて、自分の発信した写真についた👍の数は見られるが 他人の投稿についている👍の数を知ることはできない。

運営側はストレスなく投稿(POST)を楽しんでもらうためとしているが、いいことだと思う。

個人的にはフォロワーの数も非表示でいいと思うが
「フォロワー数が○万人の人気を誇るファッションリーダー」的なことを仕事にしてる人もいるから それは無理なんだろう。

自分と似たような投稿をしてる人に対して競争意識も生まれるのか
熊本ではフォロワーの多さを妬まれた女子高生がイジメに合い自殺するという痛ましい出来事まであった。

👍の多さにこだわる若い人は少なくないようで、
雑誌の見出しでも
「やっぱりいいね!がたくさん欲しい」
「いいね!がもらえるコーディネート」と言ったタイトルをよく目にした。

インスタ映えで人気のスイーツが、投稿だけした後すぐ捨てられて お店のゴミ箱が手付かずのカラフルなスイーツでいっぱいになっている写真を見たことがある。

自分がお花見をしていた時も、外国人が映える写真のため
桜の枝をぐいっと曲げて自分の顔の横まで近づけていた。
私は思わず、はらはらと花びらが落ちるのを指差して「お花を傷つけずに撮影してくださいね」とお願いした。

自身の作品やコレクションを紹介するためにインスタを利用する 自分の世界を持つ人はそんな手段を必要としないけど、
オリジナルの何かは持たないけど支持されたい人は 流行りモノに走ったり常識非常識のギリギリラインまで行ったり忙しそうだ。

非表示にすることでこういう光景が減ればいいなと思う。

自分の経験を思い出すと、好評価がつくのは自分のセンスが認められたようで確かに最初はテンションが上がる。
でもあまりにも形だけというか、投稿の内容より好評価を多く集めることが大事という傾向が強すぎて辟易した。

お互い共感する部分なんて全くないのに、👍やフォロワーの増やし合いっこをしましょうというアプローチが毎日来るのだ。

現在の愛読書の写真をPOSTしている私のインスタに 日本語の読めないカナダの塗装業者が相互フォローしましょうとやってくる。

上辺だけの数字が重視されるInstagramの世界では当たり前なんだろうけど、
趣味の記録を残したいだけの私には 自分のスマホに塗装ビフォアアフターの写真が送られてくる意味が解らない。

こんな風に思ってしまう自分には向いてないツールだと感じて現在はやっていない。
やってなくて困るということは今のところ一つもない。






憧れの形


「私、○歳になった今も綺麗って言われるんです」とアピールしたがる女性は少なくない。
今は誰もがSNSでそれを表現できるようになった。

いくつになっても憧憬の眼差しで見られたいと思うのは悪いことではないと思う。
承認欲求や自己顕示欲は厄介者扱いされがちだけど
自分の押し売りではなく 外見や内面を磨く動機に変えるならプラス要素になる。

ただ 視線を集めるためにキレイや可愛いを増やそうとしても年齢と共にそれは難しくなる。
頑張りの方向性を間違えるとイタいとまで言われる。

だけど濃い時間を過ごしながら年齢を重ねた人にしか出せないオーラで惹き付ける場合もある。

山田詠美さんがエッセイで書いていた、塩野七生さんとイタリアのレストランで会った話が印象的だった。

レストランのウェイターたちは塩野さんが高名な作家であることは知らなくても すぐに只者ではないことを見抜いて
まるでナイトが女王陛下に仕えるように接していたという。

きっと芸能人などとは違う 塩野さんしか纏うことのできない迫力があったのだろう。
独自の美意識を持つ山田詠美さんもそのカッコよさにはいたく魅了されたようで、文章のわくわく感からもそれが伝わってきた。

80歳を迎えても こんな風に憧れの存在として見られる塩野さんて素敵だなと思った。

著書の写真やニュース番組で拝見しても、イタリア在住の方らしく 鮮やかな色や大ぶりのジュエリーの使い方もこなれていてエレガント。
これに政財界の面々が唸るほどの知性が加わるのだから、そりゃ只者でない雰囲気も出るだろう。


塩野さんの著書は何冊か持っているが、私が一番好きなのは
「チェーザレボルジア あるいは優雅なる冷酷」である。
このタイトルのセンスだけでも痺れる。

野心家で頭が良くて周囲を圧倒するほどのイケメン、
怯むことなく戦場を駆け抜け 冷酷な指揮官にもなるけど妹には甘いという 実在した魅力的な貴族の話を時間を忘れて読んだ。

読み終わってから、この本の刊行が1970年と知った。
年月を経ても目減りすることがない魅力を持つのは 作者のみならず作品もだった。









血液型


A型はこんな性格 O型はこんな性格という分析を信じてる人が割といるらしく
過去の同僚にも「私は□型の男性とは絶対上手くいかない」などと言う女性がいた。 

異性の好みくらいなら個人の自由で済むけど、
就職の面接で「○型って変わり者が多いんだよね」「ウチの会社には向かないな」と言われたと言う話を聞くと残念な気持ちになる。

4型の分析が当てはまるかどうか雑談の中で楽しむくらいが適当であって、
志を持ってやって来た若い人に言うのは違う気がする。
まあこんな面接官はレアケースだと思うけど。


私の身内はA型が多いけど、几帳面な人も大雑把な人もいるし
楽観的な人も悲観的な人もいて全員に共通するものは見当たらないので あまり気にしたことがない。


イギリスで出産した際、子供の健康に関わる検査も色々したけど血液型を知ることはなかった。

血液を取って調べるような検査をしていても血液型が記されてないのが意外で
検査結果の用紙を見て、血液型は知らされないのか聞いたら
「なんでそんなの必要なの?」と言われた。

「知らないと輸血の時とか不便かと思って」と言うと
輸血が必要なケガなんて普通はしないだろうという感じで
「子供を軍隊にでも入れようと思ってるの?」と冗談ぽく言われた。
血液型信者が少なからずいる日本で生活していたから こういう反応が何か新鮮だった。☺️


血液型占いを生かして事業が成功したとか
対人関係の悩みがゼロになりましたなんて話でも聞けば、私も血液型を気にするようになるかも知れないけど
今のところ そんな人に出会ったことがない。


特に親しくもない人から唐突に「あなた○型でしょ?」と見当違いのことを言われて困惑したことは何度かあるけど
こういう決め付けとか質問って何のためなのか今も謎だし…。

ところで冒頭のような「□型の男とは付き合えない」と断言する女性は、
人柄・経済力・外見・家事育児スキルと全て揃った□型男性に交際を申し込まれたらどうするんだろう?
やっぱり「ごめんなさい、私□型の男性は無理なの」ってお断りするのだろうか。














釣りと開運


息子がバス釣りを始めて5年ほどになる。
日夜研究に励み 私はよく知らないがまあそれなりに腕のある方らしい。

素人にはボーっと釣り糸を垂らしているように見えるけど そうではなく集中力が大切らしい。

来週は模試があるとか試合があるとか、日数は迫ってなくても気になることがあるとダメだと言う。

「釣りをしてても明日の学校のことを考えると調子が上がらない」と聞いたとき
嵐の大野さんが会見で「釣りをしてても仕事のことが頭をよぎって…」と話してたのを思い出して

日本を代表する人気グループのリーダーも普通の学生も、釣りが好きな人の考えることって似てるんだなぁと可笑しくなった。

釣れるときの精神状態について聞いていると、
当然 かかって来いと思っているけど焦りはなく かといって諦めでもなく
いい感じに無の状態になっているらしい。
禅の話を聞いてるようで なかなか深い。


自己啓発系の本でもそういうのを読んだことがある。
願望実現について話すことが多い人気の女性執筆者だ。
(最近はそういうのを引き寄せって呼んでますね)

こうなりたいとハッキリ思い描くのは勿論重要なんだけど
これが欲しいこれが欲しいと思いつめている状態からフッと離れた時にそれが来ますよ、とあった。

そう言えば自分の場合 いい知らせが来るのは掃除をしている時が多い。

朗報を願いつつも 今の意識と体は辺りを清めることに行ってて気になることからは離れている、
雑念や心配のない ちょうどいい感じの無の状態だ。

開運系の話でよく掃除が推奨されるのは
キレイになると気分がいいとか幸運が入ってくる道を作るという意味の他に、
気持ちの濁りがない状態でいるのに有効ということなのかも知れない。





古市氏と芥川賞落選


情報番組のコメンテーターでもお馴染みの社会学者 古市憲寿氏が今回も受賞を逃がしたという。
 
今年の初め、テレビで古市氏がコメントをしているのを見て面白い人が出てきたなと思い 書店で「だから日本はズレている」を買った。

古代日本からJ-POPまで知識が広く、筋の通った分析をしているけど押し付けにならず読みやすい。
冷静な語り口の中にユーモアや皮肉が含まれていて、炎上という現象から学歴とは何かまで なるほどと思わせる筆力で読ませる。

彼の持論の中には 賛同できない考え方もあるけど、それでも「そういう見方もあるのか」と思える面白さがある。

毒舌タレントのように思ってる人もいるけど、海外でも講演をしていたり内閣府の仕事をしたり 学者としても多忙な人らしい。

インドアな外見に似合わずアクティブで国内外の色んな場所に赴き
実際に現場を見て話をしているのも説得力がある。

そんなわけで、しきりに宣伝されていた前作の小説「平成くん、さようなら」を見つけた時も すぐに手に取って冒頭と真ん中あたりを読んでみた。

うーん…まあ買わなくてもいいかな…。
ちょっとだけファンの私だけど、小説には心を動かされるものが無かった。
何か浅いなぁ
普段あまり本を読まない人には この浅さが読みやすさと思えるのかも知れないけど。

前から気になっていた本だけを買って書店を出た。

彼はやっぱり学者であって小説は向いてないのかも知れない。

古市氏は「この国は経済が○○で人が△△だからこんな社会になっている」ということを説くのにはとても長けてると思う。

でも、ある人の今の財産が○○で人柄・能力が△△だから数年後にはこんな生活…とはいかないのが人生。

そして小説は人生から生まれるものだから。


彼は子供の頃から頭脳明晰で 推薦やAO入試で一般的な受験の苦労はなく難関校に入学し、
起業している友人と仕事をすることになり就活もしていない、
アルバイトもしたことがないとテレビで語っていた。

他人の知らないところで研鑽や苦労はあったかも知れないけど、
挫折とか敗北感なんかとは程遠い人生に見える。

古市氏本人の「コスパの悪いことはしない」という言葉通り、
非常に効率よく道を切り拓いてこられたように感じる。

でも今の日本を生きるほとんどの人は 受験や就活のしんどさを経験して、
失恋したとか部活で死ぬほど練習したのに1回戦負けとかに泣いて 頑張っても報われないことがあるのを知り、
苦手な同僚や上司とも何とかコミュニケーションを取りながら毎日仕事をしている。

大抵の人がしている そういうリアルな汗と涙を流した経験の無さそうな人が、
市井の人々の心に届く物語を書くというのは かなり難しいように思う。










「ねえ見て」


何年か前 まだガラケーが普通だった頃、
ボランティア活動の場にYさんという人がいた。
自分の年齢も子供の年齢も同じくらいで話も合い、お互いの家に行き来するようにもなった。

Yさんは色んなことに詳しく行動力があり、SNSをやってる人が少数派の頃からブログやFacebookをやっていた。

彼女は写真を撮るのが趣味で、主に子供たちの写真をブログに載せたり市民展に出したりしていた。👦📷

彼女の作品は子供の生き生きした表情を捉えた素敵な写真だったけど
「○○で展示されてるから見に来て」という連絡や感想を求めるメールがしばしば来るのにはちょっと困った。

まだ子供も小さかったし、市民展に行くよりは 外で走り回る時間がないと気が済まない子供と体を動かすことが優先だった。

彼女のブログの「ハムスターのお世話をするウチの息子くん」の記事を読むよりは
子供と絵本を読んだり自分が新聞を読んだりするほうが大切だった。

そのボランティアですることも終わり お互い子供のことでバタバタしていてしばらく連絡を取り合うこともなかったが
ある日スーパーで偶然会い「久しぶり~」と挨拶を交わした。

私が「連休はどこか行ってたの?」とよくある世間話を始めると
Yさんはやや不機嫌になり「ブログに書いたんだけど」と前置きしてから□□に行ったと話した。

私の知り合いなら私のブログくらい見るのが普通でしょ、という圧を微妙に感じた。😅

「なんでそんなに私生活を他人に見てもらわないと気が済まないの?
閲覧を強いるほどアナタの発信してるものって価値があるものなの?」とその時は思ったが、
スマホが普及した現在は十代から中高年までそんな人だらけである。

自分自身もブログをやってるわけだし、
“これが私のhappy”というのを他の誰かと分かち合いたくてネットで表現するのは分かる。
でも興味を示さない人にまで 見ることや感想を求めるのはhappyではない。


子育てや家族の記録もネット上に溢れる時代になったけど、
子供の顔がハッキリ分かる写真を世界中の人が見られる場所に晒すというのは、当時も今も私には抵抗がある。👦👧👀

最近では学校行事でも撮影を禁止したり注意事項を設けたりするくらいだし、
リスクのあることだと思う。

何かで表彰されたりスポーツ等の活動報告と
「うちの子かわいいでしょ?」というタイプの写真は性質が全然違う。

キャンプのボランティアを装って小学生男子にわいせつ行為をしていた犯人は
ネット内を漁って子供の写真を集めたり仲間と交換していたという。🚔


ブログ見てよのYさんは 肌の質感も伝わる近さで撮った自分の子供の顔出し水着写真をネットに上げてたけど
それは私には、変質者が喜ぶ素材を提供する行為にしか思えなかった。






















本物とニセモノ


7月といえばボーナスが支給される会社も多いと思う。
私は初めてのボーナスを貯金と使う分に振り分けた後、一粒ダイヤのネックレスを買った。

プラチナのチェーンに何の装飾もないダイヤモンドだけのシンプルなもので、
ダイヤの品質を保証する鑑定書がついていた。

身に付けるもので十万を超える買い物は贅沢だろうかとその時は迷ったけど、
二十年以上経った現在も使っているから高い買い物ではなかったと思う。

何年か前、そのダイヤとキュービックジルコニアのネックレスを並べて
小学生だった親戚の女の子に「本物はどちらでしょうか?」とクイズのように聞いてみたら
割とあっさりと本物のほうを指差した。

「見る目があるねぇ」と感心すると、こう返ってきた。
「偽物は表面がキラッキラしてる、本物は奥のほうからキラキラしてる」
予備知識のない子供の視点もなかなか鋭いなと思った。


話は全く変わるが、富裕層の男性との結婚を目指しているアラサー女性がいて
彼女は頻繁に「知り合いのお医者さんと食事に行った時にね」と話していた。

私は何となく そのお医者さんは彼女を本命に選ぶことはないだろうなと思っていたら、やはりその通りになった。

私が何故そう思ったかと言うと、彼女がティファニー風のネックレスやエルメスのデザインを真似したバッグを使っていたから。

彼女は「2千円なのにティファニーに見える♪」と喜んでいても
良い物を見慣れているそれなりの地位の人にはすぐに違うと分かる。

そして彼らは、ブランド品を買えない人を見下すことは決してないけど コピー商品を身に付けている女性にはなかなか手厳しいのだ。

持ってる人まで安く見える、見栄っ張りなのかと思う、そもそもコピー商品は犯罪 etc.

彼らが女性に求める上品さや誠実さと、成りすましの嘘つき商品とはイメージが真逆なのだ。

そう言えば人気商品のコピーや海賊版がいつも問題になるあの国も
アメリカに次ぐ経済大国になっても尊敬されてる気配がない。

敬意を持って見られるために必要なことって、個人でも組織でも基本は同じなのかも知れない。