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紫外線対策


半袖の人が増えるとともに、化粧品やサングラスなど紫外線対策のものがたくさん出回る。

こんなに高機能のものが20代の頃にあったら現在シミに悩むこともなかったのに…と思うほど充実している。

というか、自分が中学生くらいの時など、まだ美白なんて言葉はなくて焼くのを奨励していた節もある。
化粧品の夏のキャンペーンなどこんがりと日焼けした水着のタレントだったけど、もうああいうCMは作られないんだろう。

以前皮膚科に行ったとき
「日焼け止めクリームをせっせと塗っているのにシミができる」とぼやいたら
先生(女性)が「紫外線を跳ね返す力があるのはクリームより粉」と教えてくれたので、多少塗ってる感が出てもいいからしっかりファンデーションを塗るようになった。

しかし40代になると太ももの上の方とか、絶対に日光が当たらない部分にもシミができるようになった…。
内側からもケアしなきゃいけないらしい。

というわけでよくCMを流していたキミエホワイトというビタミン系の錠剤を飲み始めた。
「製薬会社が作っているから効き目が違う」みたいな宣伝文句にすがって2~3年続けてみたが
シミが消えることも薄くなることもなかった。

予防にはなってるのかもと思って続けていたけど、
ある日やっぱりシミが増えてるのを見つけたので送料値上げのお知らせが来ると共にやめた。

定期購入を止めた時、「根気よく続けることが大切なんです」と再開を促す手紙や電話があったけどスルーした。
数ヶ月じゃなくて数年やったんだからもう根気とか無理。

グッズの方では旅行で一番役に立つのはバッグに入れられる帽子かな。
テーマパークのショーを見たりするとき日傘では他の人が見えなくなるし、
海外の寺院などに入場するとき、サングラスをかけてるのは不謹慎な気がするのだ。

自分と同年代かそれより上の人ができる限りの紫外線対策をしたいのは解るが
真っ黒な帽子・サングラス・アームカバー・マントのようなUVストールとフル装備で自転車に乗ってる人を見るとちょっと異様な感じもする。

しかしこんなことを言ってる自分も、目から下が隠せる布がついた帽子をかぶり忍者みたいな顔でマス釣りをして、
どこかの子供に怯えたような目で見られたことがある。

驚かせて申し訳ないが、あとあと肌の光老化に悩むくらいなら一瞬変な人と思われる方がマシなのだ。

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読書を頑張るための読書?


齋藤孝著「読書する人だけがたどりつける場所」という本が売れているらしい。
確かに書店の入ってすぐの場所で見かける。

インスタグラムの読書に関する#で探しても読んでいる人が多い。
この本の写真を上げて「これから読書する人になります!」「読書記録をつけることにしました」と決意が述べられている。

本の内容としては、
ネットの情報だけでは掘り下げた知識を身に付けることはできない
本を読んだ人は人生と知性においての深みが違う。
…など、本を読むとこんないいことがあると説いている。

以前も似たような本が売れていたなと思う。
そして、ネットのなかった自分の子供の頃とは全然違うなぁと思う。

自分は本を読んで どんな得することがあるかなんて考えたこともなかった。
家にたくさん本があったから多分同級生の平均よりは読んでたけど
何か得ようとして読んだ記憶はほとんどない。
暇だから本でも読むかとか、近くに本があるからとりあえず読むとか自然なことだった。

成績の良い子もそれなりの子も スポーツが得意なアウトドア型の子でも、ジャンルの違いはあれど何かを読んでいた。
昼休みなどに外は寒いから図書室でも行こうかとか、本のある場所に行くことが生活の一部。
友達がこれ面白いよと貸してくれて気に入った本やマンガは今でも内容を覚えている。

しかし今は情報収集や娯楽のほとんどで端末を使う。
賢くなれるらしいから頑張って本を読むぞ!という勢いがないと本を手にしない人が増えてるんだなと思う。

売れている本も、こう考えれば生き方がラクになるとか ビジネスや恋愛で望む結果を出す方法とか、
「○○すれば□□が上手くいく」というものが多くならんでいる。

そういうのも大切だけど、
日常とは違う世界の物語も読まれるようになるといいのに。

時間や空間を越えた 自分とは全く違う人間の人生を経験する
その人の心模様も自分と同化して色々な感情を味わえる。
それが読書の面白いところなのにもったいないなと思う。


追記
ブログのタイトルを「好きなもの…本」ではなく書店にしたのは
やっぱりポチっと押して宅配で受けとるのより、書店の中を歩き回って探すのが好きだから。

思いがけない出会いがあったり、今こういうのが流行ってるのかとか何となく世の中の空気が分かるのが良い


そして帰宅後、本を手にして指定席に着く時間
何歳になっても変わらない 小さな幸せ

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「プチプラで高見えコーデ」?


ファッション誌やコーディネートを見せるブログなどでよく見られるタイトルだけど、ものは言いようだなーと思う。

プチプラ(プチプライス)って要するに格安服。
ジャージ着ててもすごい美人という人なら別だけど、普通の人が千円の服を一万円に見せるのは無理。
一万円に見えると思うのは自己満足。

家の鏡では高見えでも、老舗アパレルのお店に入って店員さんと並んだらクオリティーの違いがハッキリしてしまうのだ(経験者)

十代は縫製グダグダの服でもいい、体のラインがきれいだから。
しかし体のシルエットがグダグダになってくる年齢なら、服ぐらいシャキッとしたものじゃないとマズい。

自分も普通の勤め人が世帯主である一般市民なのでもちろんプチプラにはお世話になっている。
安い=悪いだった昔と違って生地の手触りもデザインのさり気なさもこれならOKと思える物も多くなった。
ユニクロのシャツなど頻繁に着ていてもボタンが取れてきたことなんてないし、しっかりしてるなと感心する。


自分のスタンスとしては、
プチプラは日常着として愛用するけど 予約していたお店に食事に行くような時は使わない。🍴

お手頃服はサイズが合っててもイマドキなデザインでも 着る人にマジックをかける力がないから。

通販のおうち服から百貨店のお出掛け服に着替えた時、
家族が「お母さんから奥様になった(笑)」と言ったことがあるけど
こういうのはプチプラではできない良質服ならではのマジック✨だろう

着ると何かいつもよりスタイルが良く見える、顔がパッと明るい感じになる。
それ似合うねって言われるのも ちょっと高くても納得して買った服を着てる時が多い。

確かにセンスがある人はユニクロでも安っぽくはならないけど
自分は「ユニクロにしては小綺麗に仕上がったな」と思っても自分の内に留めておく。
他人に「これどこで買ったと思う?」とか絶対に聞かない。
尋ねても、そんな風に見えない 買い物上手ねと返ってくるのがお約束だから。

「そんな値段に見えない」「そんな年に見えない」
この二つはプチプラや美魔女という言葉が出てきてから、社交辞令として大抵の人が言うようになって正確な判断材料にはならないのだ。


相手はお付き合いの潤滑油でも褒め言葉は嬉しい。

でも「安い服なのにオシャレでしょ?」と褒めてくれオーラを出し、
何か言って欲しそうだから褒めておくかと相手が
「素敵ねユニクロに見えないわ~」と言ってくれたのを真に受けて
『私が着るとプチプラでも高見えするのよね♪』
と勘違いするオバサンにはなりたくない。


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お姉さん・おばさん・奥さん


デパートで買い物をしていた時、近くに2歳くらいの男の子を連れた若いお母さんがいた。

お母さんがお店の女の子に何か尋ねたり支払いをして少し子供から目を話した際、子供がお店をウロウロし始めた。
男の子がじっとできない習性なのは経験上よく分かる。

子供が商品である洋服に手を出しそうになったので、私はこっそり自分の手で動物の形を作って動かして見せた。
子供はじいっと私の手元を見ていたので、商品はキレイに並んだ状態のまま用が済んだお母さんと合流となった。

お店の若い女の子は見ていたらしく、私が支払いをする時「さっきはありがとうございました」と言った。
そして感じのいい笑顔で「あの男の子、すごくお姉さんになついてましたね」と言いながら商品を渡してくれた。

お店を出て歩きながら、サービス業の人もなかなか大変だなと思った。
多方面に配慮しないと色々言われる世の中だもんね。

十代の子供を持つ四十代の自分はどう見ても「お姉さん」ではないし、私自身おばさんと呼ばれることに何の違和感もない。
でもおばさんという言葉に抵抗ある女性もいるのだろう。

私が子供の頃、母とスーパーに行くと試食販売で立っている人は
「奥さん、ちょっとこれ食べていって」とか「そこのお母さん」とか呼んでいたように思う。
でも今は未婚の人も多いからそれも使えない。

個人的には違和感があるけど「お客様」よりも近い呼び掛けにしたい場合、中高年女性にもお姉さんしかないのかな?
しかし言われてみると、悪い気はしないけど落ち着かないし何となく恥ずかしかった。

初めてヨーロッパに行った時、
お店の人がアラサーOL風からお孫さんのいそうな人にまで「マダム」と呼び掛けていて、なかなか便利な言葉だなと思った。
「おばさん」「奥さん」より丁重で大人の女性として敬意を払っている感じがするのも良い。

しかし ややブルジョア感のある響きのせいか日本では広く定着せず
残念ながら「マダム」という呼び掛けが聞けるのは、主にコントやドラマの中…。
まあ確かに魚屋さんが「マダム、今日はイワシがおすすめですよ」と言うのもしっくりこない。

年齢と言えば「いい年した女が女子会とか言うな」という意見もあるが別にいいと思う。
私自身は普通に“ゴハン食べてくる”と言うので使わないけど。

同世代数人で飲んだり食べたりしながらお喋りを楽しむことを上手く三文字にまとめてあるし
婦人会では地域の会合みたいだし、
「女子会」の他にちょうどいい言い回しが無いんだからアリだと思う。
「大人が女子に戻る会」でもあるんだし。

女子会という言葉を作った方にお願いしたい。
未婚既婚関係なく広く大人の女性を指す呼び方を、「マダム」の日本語版を考えて普及させてほしい。













防犯のつもり


夜の10時以降に車を走らせていて 若い女の子が一人で歩いているのを見ると心配になる。
仕事してたんだし一人暮らしだから仕方ないと言われたらそれまでだけど、
イヤホンつけたままでは変質者が近づいても気付けないから せめて辺りの気配が解るようにしようよと言いたくなる。

私も電車通勤していた頃、暗い帰り道をひとり歩くことがあった
家は建っていたが 夜9時を過ぎると通行人はほとんどいない
住人が道路側ではなく庭側の部屋にいたら何かあっても気づかれないかも知れない。

いちおう携帯電話を手にして歩いてたけど
危ない人が迫ってきてパニック気味になってるときにボタンを押して「もしもし今○○駅の近くなんですが」なんてできる気がしない。

ない知恵を絞って私なりに考えた。

“この女、頭おかしい?”と思われたら痴漢も避ける気がして
歩きながら上半身でラジオ体操的な動きをしたり、お経を唱えながら歩いてみたこともあった。
(仏教校出身)

防犯ブザーは今ほど一般的に売られていなかった。
催涙スプレーなどはバッグに入れるには大きすぎ。
ナイフなんか持ち歩いてたらこっちが危ない人になる。
誰かにバッグの中を見られることがあったら「この人いったい…」と疑惑の目を向けられる予感しかない。

で、ナイフからの連想でフォークを持ち歩くことにした(笑)
アホみたいだけど真面目に考えた末の結論だ。

相手がこちらに手を掛けてきたとき
フォークなら素手で振り払うより相手にダメージを与えられる気がして、自分の太ももで試してみる
自分のグーとかパーで攻撃してみても何も感じないが
フォークを突き立ててみると痛くて一瞬ビクッとなる、これだこの隙にダッシュで逃げられる(?)

ナイフだと相手に取り上げられたら自分の命が危ないがフォークならそこまでの攻撃力はない。

それにフォークなら バッグの中にあるのを見られても
「マイ箸みたいなもんです。環境についての意識です」という顔ができる。
いやー私ってなかなか賢い ←違う

そんな訳でしばらくの間 一人で夜道を歩くときは
片手にプラダのバッグを持ち、片手にフォークを握りしめるという珍妙な姿で帰宅していた。

幸い怖い目に合うことはなく、フォークの出番はなかった。


一度くらい警察とか防犯の専門家に フォークを持ち歩くのは護身として有効なのか尋ねてみたいが
発想が独特すぎるし「検証したことないですね」と苦笑いされそうなので聞かずじまいである。



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直感と約束


私の父は40代で患った病気の後遺症があり、仕事はしていたが健康な方ではなかった。
70代後半となり、ある日 手足の震え・熱・食事を受け付けないなどの症状が出て自宅近くの病院に入院し、母が献身的に世話をしていた。

七月の始め頃、入院した父の様子を見に行くと 私が持ってきたリンゴのすりおろしを何とか食べられる状態だった。

数日して再び病院に行く予定の日、
家の用事が終わりかける頃 朝からの雨が急に激しくなり 見ているうちにどしゃ降りと呼べるくらいになった。

今日は行くのやめよう。

実家は隣の隣の市で遠くもないが近くもない。
道路の冠水など帰りが心配だから明日にしようと実家に電話したが繋がらない。
母はたぶん病院にいて携帯の電源も切っているのだろう。

どんよりした灰色の窓の外を眺めているうちに落ち着かない気持ちになり、やっぱり今日行った方がいいような気がして車に乗った。

何でわざわざこんな視界の悪い中を走ってるんだろ…と思いながら信号待ちをやり過ごし病院に着いた。

父は前回よりも呼吸をするのが苦しそうだった。
父は孫のことをいつも気にかけているので
少しでも元気になってもらおうと、息子は学校でこんなことをしているとかサッカーを頑張っているとか話した。

明日は土曜日で子供も一緒に来れるから待っててねと言うと、父は半分息みたいな掠れた声で「うん」と言った。

叩きつけるような雨音を聞きながら自宅に帰って、夕食を作っていると母から電話があった。
「お父さん熱下がったわ」
安心したから私も自宅に戻って食事をしたと明るい声で言う。
私もホッとして電話を切り、それからはいつものように過ごした。

夜10時過ぎ、母から再び電話があった。
「お父さん、さっき亡くなったって。病院から連絡が来たわ」

いつの間にか雨は止んでいて、午後のどしゃ降りが嘘のような静かな夜だった。
まだ実感がなく、しばらくぼんやりと座っていたかったがそんな時間はない。

今日のうちに父に会っておくよう、何かが背中を押したのはそういうことだったのかと思いながら引き出しを開けて数珠を探した。


もう何年も前の出来事だけど、今でも強い雨の日にはそのことを思い出す。

私はパワースポットとか宇宙の声とかスピリチュアル関係はあまり興味ないけど、
そういう経験があるので何か見えない力というのは存在するんだろうと思う。


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自己満足な復讐


私は暇になると目の前にあるものを読む習性があったので、12~3歳の頃から父が買ってくる週間文春を読んでいた。

端から端まで見ていたわけではないが、軽快な語り口で読みやすく長く連載されていた林真理子や椎名誠のページは毎週読んでいた。
(当時から現在まで連載を続けてる林さんてすごい)

ある日、椎名氏が自分の住む市に講演だかサイン会で来ると自治体が配布する市民だよりで知った。

水田が広がるのどかな場所に住んでいた私にとって、有名作家が我が町に来るというのはビッグニュースである。
テレビに出ている芸能人ではない有名人が動いてる姿なんてなかなか見られるものではない。

なんだかワクワクした。
地味な所だけど重要文化財のお寺なんかも一応あるし仕事が終わったら市内を歩いたりもするのかな?それがエッセイに書かれたら嬉しいのになぁ。

しかし椎名氏は来なかった。ドタキャンである。

急病でも台風による交通機関の不通でもない。
氏のコメントから推察するとうっかり忘れてたとか行く気が失せたとか、そんな感じのようだ。
埋め合わせをしたいという言葉はあったが、その後も放置だった。
(それから随分年月が過ぎてから彼はドタキャン常習とネットで書かれているのを見る)

…ふうん、そうなんだ。
エッセイでは「空が広い、人は優しく食い物はウマイ、田舎最高ビールが進むぜ」みたいなこと書いてるけど本音はこれか。
どうでもいい仕事だったか。

それ以降、書店で彼の本を見ると何かイラっとするようになった。
今どきの人ならネットに文句を書き込むのだろうが当時はない。

私は気持ちを収めるため、書店で平積みにされていた彼の単行本の上に別の作家の本を置いて見えなくなるようにした。

しばらくの間、書店に行くたびに「この人が売れなくなりますように」と念を込めながら、彼の書籍の上に別の本を置いていた。

文春で彼の連載が終わるのと 私の子供じみた営業妨害が終わるのと、どちらが先だったかは思い出せない。

椎名氏の本が書店の目立つ場所に置かれることはなくなったが、
実は歴史に関する著書で知られる井沢元彦氏も、この地域に対して同じような仕打ちをしている。
もう十年以上も前のことだけど私はしつこい性格なので覚えている。

毎日のように各種のイベントがあり良くも悪くもすぐに忘れ去られる都会と田舎とは違う。
講演にしろ音楽イベントにしろ盛り上がれば「こんな田舎まで来てくれていい人」と語り継がれるが
逆の場合は悪いイメージがしっかりとそこに根を下ろすのだ。

でも 私ももう大人になったので、書店で井沢氏の書籍を見かけても別の本を上に重ねたりはしない。

買うこともないけど。



日曜夜8時


大河ドラマ「いだてん」の視聴率が伸びなくて、
歴代ワーストの「平清盛」に近づいてきたというのをしばしば聞く。

私も2回ほど見て「お金かけてるなぁ オリンピックを盛り上げるドラマを作るって気合い入ってるのは分かる でも続きを見たいとは思わないかな」という感じで見なくなってしまった。

あまちゃんも流星の絆も好きだったし、宮藤官九郎さんは好きだけど、今回は彼の良さを生かせてないような…

周りも一応始めは見たけど脱落したという人が多い。
ここが残念の声をまとめると、、

・主人公の金栗という人が馴染みのない人なのでピンとこない。
・主人公を演じる役者さんがコレジャナイ感。
選手なのにアスリート感がない、もっと若い役者の方が良かった、もっと華のある人が良かった。
・初めてオリンピックに出た日本人!でも残念な結果に終わった…では盛り上がらない。
初めてメダルを取った人の話だったらなぁ

・そもそも大河で戦国時代と江戸時代以外の話はコケてるのにあの時代のを作るというのが間違い
← 私も同感、結局これかも知れない。

日本人は、そしてテレビを見る世代の人はやっぱり城と侍と合戦が好きなのだ。

信長がどう生きてどう死んだかなんてドラマを数え切れないほど見て知ってるのに
桶狭間とか本能寺のシーンとなるとやっぱり見てしまう謎。

親がテレビを見てる間はYouTubeかゲームだった息子も「真田丸」の時だけはタブレットを置いてテレビを見ていた。
ありがちな合戦シーンはネット世代も引き寄せる最強コンテンツだったりする。

大河ドラマに変化球はいらない。
もう民放地上波では時代劇を作ることもしてなくてゴールデン外した時間に昭和の作品を再放送するだけだし、
NHKくらい戦国・江戸ばかりの時間帯があってもいいと思う。

強引な方法を問題視する声も上がるくらいグイグイ受信料を回収してるんだから 製作する予算は充分にあるでしょう。

というわけでNHK大河担当の方々は新鮮味など追求せず
「定番の安心感」を基本コンセプトにして頑張ってください。


励ましなのか予言なのか


子供が小学生の時、行事でもないのに学校に行ったことがある。
ウチの子がご迷惑をおかけしてすみませんという類の話だ。

本題の件以外にも提出物が出ていないことなどを知らされ、思わず大きなため息が出た。
帰宅するなり玄関にランドセルを放り出して遊びに行く毎日。
買い物で遊び場の近くを通るとヘビを首に巻き付けて遊んでいてビックリしたこともあった。

私なりに 彼の直すべき点について取り組んできたつもりだったが効果なしか…。

がっくりと肩を落とす私が気の毒になったのか先生が言った。
「でもKくん、いいところもいっぱいありますよ。
この前の読書感想文なんてすごくいいこと書いてて僕は感動しました。Kくんはやればできるんですよ!」

すこし望みが出てきた…と言いたいところだが、
残念ながら それは夏休み最終日に私が下書きしたものだ。
「△△に負けず○○した□□はすごいと思いました」と書いたきり、こちらがどう言葉を引き出そうと頑張っても文章が出てこない彼に音を上げてしまったのだ。

でも先生は繰り返した「やればできるんです」
「すごくエネルギーを感じる子なんです」

一生懸命いいところを見つけようとしてくれる担任の先生に対して、ありがたくも申し訳ない気持ちで何度も頭を下げて帰った。

いつもはキレイだなぁと思いながら眺める夕焼け空を途方に暮れたような気持ちで見上げた。


でも先生の言葉は間違いでもなかった。
それから数年後、目標を見つけた息子はがつがつと勉強するようになった。
暗記のために書く作業を繰り返したルーズリーフが 締め切り前のマンガ家みたいに部屋中に散らばっていた。

「おやつ食べたらドリルしようか」と言われると
この世の終わりを見たような顔になっていた男の子は
周りの誰もが無理だろうと思っていた第一希望の学校に合格した。





漆黒の村正


桑名市の神社に残る町の宝、名刀 村正

戦時中、劣化を防ぐため漆が塗られた

現代の研師が漆を落とし磨きをかけ
往年の輝きが戻った

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プロフィール

raffine

Author:raffine
活字が好きなアラフィフ主婦 家族は夫と息子とカメ🐢
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