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我が家の未解決事件 (実話)


事件と言っても、死傷者はいませんし 私が子供の頃の出来事
でも 今考えても謎が残る‥という話です

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私が小学生の頃
のどかな昭和の のんびりとした休日
家族はそれぞれ庭に出たり、テレビを見たりして過ごしていた
父はどこかに出掛けていた

たいていの主婦が「もう少ししたら お昼ごはん作らなくちゃ」と思う時間
突然、けたたましく電話が鳴った

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「はい○○です」と対応した母親が、えっ!?と声を上げて ひどく動揺している

私はビックリして、母親にくっついて電話を聞いた。
両親より やや若い30〜40代の男の声、少し急いでいるが 話し方はきちんとしている。

📞電話の内容は、父親が路上で倒れたというものだった

ブログでも何度か書いているが、私の幼少期に 父は病気で倒れていて
持病や後遺症と付き合いながら 公共交通機関で通勤し、仕事をしていた。
元気に過ごしているように見えても、突然そういうことがあっても不思議ではない。

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📞電話を掛けてきたのは □□市S町のS病院に勤める人だという

□□市は自宅がある市の1つ向こうの市 S町は父が倒れる前に通勤していた町
ちゃんと行き先を聞いていなかったけど、以前の職場の誰かと会うつもりだったのだろうか?

だけど うちではS病院を利用したことがなく みんな「それどこ?」状態
再び連絡が来たとき、電話の主は「だったらS駅に迎えに行きましょうか」と言ってくれた。

お父さんが死んだらどうしよう‥ 何もできない私は おろおろするばかり
頭が真っ白だったので、姉や祖父母がどんなだったか記憶がない

母親が大慌てで支度して「今なら○時○分の電車に乗れるわ」と家を出ようとしたとき

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聞き慣れた足音がして、父親が現れた
いつものように散歩から帰ってきたという様子で「昼 食べるわ」と言う

え…!???

「お父さん 倒れてたんじゃないの?」「S病院には行ってないの?」
「なんの話だ」父はきょとんとしている

父はS町になど行っておらず、倒れてもいなかった
いつものように徒歩で行ける範囲を歩いていただけだった。

みんな安心して ふにゃりと力が抜けたみたいになった

そして 大きく安堵の息を吐いたあと、急に何とも言えない薄気味悪さが襲ってきた


📞 あの電話は何だったの…?


単なるイタズラなのか、母を呼び出してどこかに連れて行くつもりだったのか

全く見当がつかないが うちの事情をよく知っていることは間違いない
父親が倒れる可能性のある健康状態だと知っている
ご近所の目がない遠方で かつ父の行きそうな場所を指定してきた

そして父が散歩に出ている間に電話が掛かってきて
何度かあった電話は、父が帰宅したのを見ていたかのように かかってこなくなった。

父親の帰宅があと数分遅かったら・・・
携帯で連絡することもできないあの時代、母がS駅に行っていたら・・・
今思い出しても 少しぞわっとする

そんなことをする理由も全く分からない
実家は、ごく普通の質素で堅実な勤め人の家である
狙われるような資産もなく、金銭の貸し借りやトラブルもない

犯人は父の外出と帰宅を 何処かから見ていたのか?
S駅には別の誰かがいたのか…?などと考えたこともあるが
そんな大掛かりなことをしてでも得る価値のあるものなんて うちには無い

あまりにも意味分からないし、気持ち悪いし… という出来事のためか
その後 この出来事を誰も口にしない

40年が過ぎようとしているが 家族それぞれの心の中に封印されたままである。


病院の者だと名乗った電話の主について、当時の声から想像すると もう高齢者だろう

私の家族に 後味が悪い記憶を残したまま、この世を去っているのかも知れない
「天国には行かせないからね」と私は念じているけど。

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狭い世界で地味に過ごしていても こういう寒気のすることに遭遇してしまう

🌏ネットで世界中と繋がり、顔や名前を出して自分の暮らしぶりを見せていたら
どんな罠があるか分かったものじゃない…と思う
スマホや位置情報があっても バッグを引ったくられたら終わり。

ブログ歴が長くなってきても、自分を見せようという気が少しも起こらないのは
この経験が関係しているのかも知れない。


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ずるい男


ブログを始めたばかりの時
始めてたくさんの反応をいただいて 続けていけそうな手応えになった記事です

懐かしくなって再アップしてみました♪

それではどうぞ↓

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F氏は 社会に出たばかりの私が初めて遭遇したthe大人の男性という感じの人だった
今は何をしているか知らないが、固いところにお勤めだったので多分そこにいるのだろう。

年齢は自分と4~5歳しか変わらなかったけど それより落ち着いて見えた
職場でスポーツをする集まりのまとめ役で 後輩の男子たちからも慕われていた
身長は高かったけど顔立ちは普通よりやや整ってる程度で 目立つようなイケメンではない。


でも飲み会なんかに参加すると、彼の隣に座った女の子たちはみんな骨抜きにされてしまう
あるいは 隠しても分かる感じで 女性たちが彼の近くに行きたがる
蜜のような罠のような存在。

男の子がF氏に何か相談して、彼がうんうんと聞いている様子は
兄と弟みたいな温かくて信頼し合ってる空気が漂っていて
女の子がF氏に何か話しかけて、彼が聞いているときは
付き合ってる二人みたいなしっとりした空気が漂っていた。


飲み物どうする?という程度の会話を交わすだけでも
男女年齢問わず 相手の瞳の奥まで届きそうなほど しっかりと見つめながら伝えるのが常で
誰かと1分足らずのやり取りをしているだけでも、邪魔しちゃいけないと思わせる空気を作る。

相手が小学生だろうと 商店のおじちゃんだろうと
きっとあんな感じなんだろうと思うほど、自然にそれをやっている

あんなふうに一瞬で距離を縮めるなんて 真似しようと思ってもできるものではないし、
一種の才能なんだろう


私は 明るくて面白い同い年の彼氏がいるのに友人と同じ人を好きになってしまう…みたいな
厄介なことになるのは嫌だから、
うっかり撃ち抜かれたりしないためにも 近づき過ぎないようにしていた。

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ある夜 10人くらいで飲食したあと、F氏が私を駅まで送ってくれることになった🌙

歩きながら「寒くない?」とか気遣ってくれるF氏に
「そんなに無闇に優しいと誤解されるんじゃないですか」と私が言うと
彼は少し驚いて、自分は至って普通にみんなと接していると言う 
やはり生まれ持った気質らしい

あとは音楽とか無難な話をしながら歩いて、駅に到着したところでお礼を伝える。

電車に乗るために それではと背を向けかけた時、
不意にF氏が
「唇が魅力的だ」みたいなことを言った
女の子がみんな捕まってしまう あの目で。

動揺を見せないようにしながら「唇だけですか?」と私が尋ねると
彼はふっと笑って何か答えたが
電車がホームに滑り込んでくる音で 聞き取ることができなかった。

2020.5.9

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14歳の冬と慟哭


今まで誰にも言ったことがない話


他の記事でも少し触れたけど
12月半ばの私の誕生日は、実家の家族が亡くなった日でもある


私が園児の頃、父親が倒れて入院した
母は 父のケアと仕事で、朝から晩までいない時期があり
小学校の入学式にも両親はいなかった。

父が退院してからも、母は仕事で家にいる時間が少なく
祖母がお母さん的な役割だったことが何年か続いた

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自分が中学生になる頃は、母は普通に家にいて主婦をしていたが
今度は私の学校生活が なかなかしんどかった

結構しつこくて悪質なイジメをしてくる女子たちがいたけど、担任の女性教師は取りあってくれない
小学校からの友人が同じクラスにいても
興味の対象が違ってきて会話することが減り、イジメも見て見ぬふり

その他、難しくなる勉強や進路の問題、部活の少し気難しい先輩、近くの席のイヤミな男子etc
毎日を何とか生きているという感じの中学校生活


🏠帰宅すれば 温かいご飯があることや
「行ってらっしゃい」を言ってくれる家族がいる有り難みなんて まるで分かってなかった。

校内を移動する度に 自分を傷つける人と顔を合わせることがないかオドオドする日々で
そんな余裕は無かったから。

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そんな気の重い日常に追い打ちをかけるように、当時70代前半の祖母が病気になった

いつも元気に家事や畑仕事をしていたので
体のあちこちが痛むのは年のせいだろうと本人も周りも受け止めていたが
数日ほど家で寝ていても 悪くなるばかり

病院へ行くと ほどなく入院ということになった

何ヶ月かの祖母の入院生活の間、自分も何度か 見舞いやお世話に行った
祖母は歩くことは出来なかったけど、家にいる時と同じようにしっかりした話し方だった

泊まり込みで付き添いに行ったときなど「今日は学校でしょ」と起こしてくれたほど。

私は病気の詳細を知らされていなかったし、いつものように「またね」と帰宅した

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それからしばらくして、私は誕生日の朝を迎えた

10代の誕生日らしい弾んだ気持ちなど無く、その日も 修業のように登校した。
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5限目の授業の最中に、たまたま職員室にいたのであろう 他のクラスの先生がやってきて
教壇で国語を教える小林先生に何か伝えた
うなずく先生のボブの髪に 午後の光が当たっている 

小林先生は とても気を使ってくれてる表情で 言いにくそうに
「□□さん、お祖母さまが亡くなられたそうです」と静かに私に伝えた

え?え?本当に? この前あんなに元気にしゃべってたのに?
わけが分からないまま、机の上を片付けて「失礼します」と教室を出る

同居する家族がこの世を去るというのは 初めてのことで、どういうことか分からなくて現実感が無い

冬枯れの田んぼに挟まれた通学路を、ひとりぼっちで歩く

私は悲しいのに、冬と思えないほど 空は明るく青い

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「おばあちゃん 死んじゃったんだ」と、自分に現実を言い聞かせると
急に涙が溢れ出して止まらなくなった 

誰もいない一本道を 迷子の子どもみたいに 声を上げて泣いた

泣きすぎて目が腫れているのが自分でも分かった 

でも これでもう涙は出し切ったから、悲しくても普通に呼吸はできるはず。


少し落ち着いて いろんなことを思い出す

小学校の頃、登校しかけた私を追いかけて「今日 音楽ある日」とハーモニカを渡してくれた
一緒に畑に出て、トマトやきゅうりの育て方を教えてくれた
こたつでテレビを見ながら編み物をしていて、私に手編みのセーターを着せてくれた
いくつもの毛糸を私に見せて 好きな色を確かめてから作るから どのセーターも大好きだった

そんな日は二度と戻ってこないのだと思うと、また涙が出てきた

そして、おばあちゃんの沢山の優しさに
きちんと「ありがとう」を言う機会が、もう永久に失われたことに気がついて

今度は 苦しくて声にならない声で泣いた。


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あのときから もう30年以上が過ぎるけど
「きちんと感謝を伝えてなかった」「恩返しになることを何一つできないまま お別れになった」
そう気付いた時の後悔は、大人になっても変わらない

ダメージを引きずることがあまりない自分が、こんな長い間 自責の念を感じているんだから
もうこれは一生続くのだろう


命日、お盆と暮れ、お彼岸など
先祖の冥福を祈る機会に、おばあちゃんに向かって
もう何回「ありがとう」と語りかけたか分からないけど

伝えたかったことは、今も届いている気がしない。

 その日が来る度に思い知らされる

 亡くなった人に感謝を伝える方法はないのだと。




お読みいただきありがとうございました
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私の出会ったお嬢様(1)


自分が生まれ育った場所は、近くに駅も商業施設もあるけど 通学路の両側には田んぼというのどかさ
便利な田舎といった所で 引っ越しをしたこともなかった。

なので高校を卒業して進学のために都会に出てきた時は
今まで会ったことのないタイプの人たちを見て へぇ~と思うことの連続だった。

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イメージ画像です


そんな中で一番親しくなったのはサエミ。
普通の勤め人の家庭で育ち 田舎から来た私とは違い
サエミの父は中規模の会社の社長で、子供の頃から近くの老舗百貨店で買い物をしていたという。

サエミは中学高校とお嬢様さま系の一貫校に通っていたが、
良妻賢母養成所みたいな校風が合わないので
付属の大学に進むのはやめてこっちにしたと話していた。

本とか音楽とか映画とか 誰もが知ってるメジャーな物より
ややマイナーで陰影のあるものに惹かれるところで気が合って、一緒に色んな場所に行った。

と言っても 面白い場所を知っているのは当然地元のサエミ。

ここ オシャレでお金持ちの大人がお酒飲んだりする店じゃないの? みたいな場所に
サエミは慣れた様子でドアを開けて入っていく。

おじさんだらけの焼き鳥店から 金髪バンドマンのいるライブハウスまで ホームのように振る舞って
いつも誰かに話しかけられるサエミ

私は垢抜けない自分にちょっと引け目を感じながらついていくだけ。


サエミはめちゃ美人というわけではないけど ボブが似合ってて独特の雰囲気があった。
誰かが何か言ったとき、のんびりとした調子で返す言葉が面白くて 男女どちらの友達も多かった。

お嬢様にも箱入りタイプと奔放タイプとあるけど、サエミは間違いなく後者。


ルックス的には 高畑充希さんのようにパーツが丸いけど子供っぽくならない所と
小保方さんのようなどこか掴みどころのない雰囲気が混じってる感じ
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終電無視で遊び疲れて タクシーでサエミの家に行き、
サエミのお母さんが しょうがない子ねぇと笑いながら門を開けてくれて
お泊まりさせてもらうということも何度かあった。

失恋したと電話で報告しながら、しくしくと私が泣いていると
忙しい中サエミが駆け付けて 落ち着くまで隣にいてくれたこともあった。


友情と呼べるものは確かにあったと思う


でも、一緒に田んぼの中の通学路を歩いた友達と同じくらい心が通じ合うことはないのも分かっていた。

小学生の頃 庭で祖母とトマトの収穫をしてた私と
子供の頃から家族旅行でハワイに行き
十代でママのお古のロレックスを貰っているサエミとは根本的な何かが違うのだ。


彼女は適当なところがあって
ちゃんと出席しないとマズイでしょ?という時も「今日はやる気しないな~」とサボることがあった
それでも単位を落とすようなヘマはしないんだから要領がいいんだろう。


知ってる人も知らない人もいる飲み会に二人で行く
私は楽しく過ごしても次に繋がることはないけど
サエミは違う、メンバーの中の誰かが必ずサエミのことを好きになる。

合コンで愛想を振りまいても空振りに終わることがある私と違って、
サエミは顔さえ出せば もれなく彼氏候補がいるわけである。

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卒業して 私は会社員になって、地味な計算をしたり意地悪な先輩に耐えたりしていたが
サエミは就職をせず 気が向いたら親の会社を手伝う気楽な生活を送っていた。

好きなことだけしてフワ~っと生きてても
ちゃんと単位は確保できて、お金に困ることもなくて、いつも恋愛ドラマの中にいるサエミ

頑張らなくても何でも手に入ってしまう人っているんだなぁと思いながら友達を続けていた。

違い過ぎて妬みも起こらないので、双方の環境が変わっても特に関係は変わらない
人生不戦勝の人と比べるだけムダである。

“いつもサエミに主導権がある感じだけど、それで面白い経験ができてるからまあいいか
自分のほうが上だと思ってるんだろうな‥
でも実際 人を魅了するスキルも財力も上なんだから そう思われてもしょうがないよね“というスタンス

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二十代半ばになり お見合い話が来るようになった。
自分や地元の同級生が 周りから勧められるお見合いの相手は会社員とか公務員

サエミのところに来るお見合い話は 経営者か経営者の御曹司、プロ野球選手だった。

プロ野球選手の名前を聞いて私は驚いたし、
自分にはそんな知り合いもいないから興味津々で 前向きに検討してほしいなと思ったが
サエミは嫌だと言う。


お金をたくさん稼ぐ男性は ちゃんと家に帰ってこないからイヤ
お父さんの浮気でお母さんが悲しそうにしてるのを見てたこともあるし 私はそんな結婚はしたくない
そうサエミは言った

それも分かるけど
5時に帰ってくるサラリーマンのお給料では、サエミの好きなエルメスのバッグ買うなんて無理だよ

でも彼女を怒らせる気がして、それは言えなかった。
会社員をしたことのない彼女に言ったところで分からないだろう…とも思った。




お読みいただき ありがとうございました
2020.1.17


最近 読者になってくださった方もみえるので
ブログを始めて間もない頃は こういう記事も書いてたんですよーということで
冬眠してたのを再掲してみました
需要があるのか無いのか謎なので とりあえず第一話だけ

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テレビとギミック


日本テレビの「ヒルナンデス」という番組の非常識さがネットニュースになっていた

都内にあるフルーツサンド専門店が取材の依頼を受けたので、OKして多めに作って待っていたが 撮影クルーが現れない

約束の時間を1時間以上過ぎてから
「撮影が押しちゃって行けなくなりました」と軽く告げられたそうだ 

どんな事情があったかしらないが、予定時間を大幅に過ぎてから連絡というのは
どの業界だろうが 社会人として欠陥があると言うしかない

お店がインスタで事情を訴えたところ、お客さんたちが買いに来てくれて 商品はムダにならなかったようで良かった

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画像はACイラストより

この件がネットのニュースサイトでも取り上げられてから ようやく日テレは謝罪に来た
ネットで批判の声が上がって 初めて謝るというのもヒドい話

SNSのない時代は、こんな無礼なことをされて泣き寝入りする店主が結構いたのかも知れない

ネットでは「テレビなんてオワコンのくせに まだ王様気取りか」みたいな声も上がっていた


自分は、子供の頃からたくさん楽しませてもらったり 知らないことを教えてくれたテレビをオワコンとは言いたくない
今も安住アナは好きだし ドラマ「ナンバMG5」も見ている笑

でも、あまりの内容の無さや 朝も晩も韓国のPRに励む安っぽさに
「落ちぶれたなぁ…」と悲しくなることはある

◾昔ほど日本にお金がないのと 娯楽がネットに移っていったこと
それに伴うスポンサーの減少が テレビ衰退の主な理由だろうけど
番組を制作する側に 誠実さや情熱が欠けているように見える

自分達テレビが「今はコレ!」と言い切れば視聴者は信じてついてくる
もう昭和はとっくに終わってるのに、未だにそういう勘違いをしてる気配もある。

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ネットが普及して
テレビの街頭インタビューが仕込みだとか、大家族スペシャルなど密着もので起こるトラブルはスタッフの指示でやってるなど
もう大抵の人が知っているけど、自分はもう少し前にテレビのインチキな面を知った


私が10代のときのある日
姉が前からの約束で友人たちと遊びに行った

その日の夕方、地元出身の力士○○関が優勝した

そのことを知らない姉たちが居酒屋で飲食していると
テレビの撮影スタッフがどやどやと入ってきて優勝を伝えた
「○○関の優勝を祝って乾杯、と言ってもらえますか」と頼まれ 言われた通りにしたという

その番組を見ると、短いけど本当に姉と友人が乾杯する様子が映っていた
「○○関の優勝に喜ぶ町の人たちが さっそく祝杯をあげています」みたいなナレーションだった


そのとき 私は初めて
「ふーん テレビってこんなふうにニュース映像を作るのか」と思った

町が○○関の優勝を喜んでるのはウソじゃない
乾杯しているのが地元の市民なのもウソじゃない
でも姉たちは ○○関の優勝を知って飲みに集まった市民じゃない

◾あっちの事実とこっちの事実を繋ぎ合わせて
テレビが欲しい画像という第三の事実を作る
それがテレビなんだ…

その感想は現在も続いている
今は当時よりも、嘘っぽい情報や わざとらしいリアクションが増えていて
それもテレビ離れの理由なんだろうなと思う


お読みいただきありがとうございました
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プロフィール

raffine

Author:raffine
活字が好きなアラフィフ主婦 家族は夫と息子とカメ🐢
近鉄線圏内在住
お出かけ先は美術館や美味しいお店などインドア中心です

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